10年前の1993年は今振り返ると石丸と一番親密な年だった。

3月には雪の川俣温泉に行った。
ホテルの名物の石焼憤然焚きを“すっげー!”楽しみながら食べた。
帰りの、駅に向かうバスから見えた雪原に、どちらからともなく“降りよう”と言って、雪の中はまりながら“バカふたり!”って遊んだね。
雪の中にポッキー刺して食べたり、雪、食べたり。
川向こうの崖に出来たツララを取ろうと、氷の残る川を跳び越え損ねて、二人ともジーパンの裾をビショビショにしたっけ。

6月には沖縄。
ただ“沖縄”じゃつまんないから、大阪食い倒れ&宮古島を計画。
大阪のたこ焼きのあまりの美味しさにいろんな屋台で食べ回った。
お好み焼き屋では、焼き方が下手でおばちゃんに怒られた。
梅田の“赤とんぼ”では、入るなり“うるさく言うなら帰ってや!”と言われてビビリながらも果敢に入店。
結局不器用なおっちゃんで“遅いぞって文句言われたないから”ってだけだった。
美味かった、楽しかった。
去年あの店に行ったんだよ。代替わりしてておっちゃんは居なかったけど、大阪らしさは健在だった。

ヘロヘロの二日酔い状態で宮古島に向かったね。
イメージにある“沖縄”を探してチャリンコ飛ばしたっけ。
泊まった民宿はゴキブリうじゃうじゃで、イヤんなって予定変えて、翌日は伊良部島にわたった。
伊良部の人はみんな顔が怖かったけど、話すとすっごく親切で、びっくりした。
『人間“顔”じゃない!』
朝早くに浜へ行くと、昨日陸地だったところまで海! 
二人ともぼーぜん!

食事はハズレばっかりだった。 
あきらめてスーパーでパンと野菜を買ったら、これが美味い!
トマトなんて、子供の頃の本当のトマトの味がするって、大喜びで海の中、海水つけながら食べたね。

最終日の那覇。
鍾乳洞に行こうとしたらバスを間違え“なんとかなるさ”って小雨の中、長い道のりを歩いた。
途中で親切な地元のおにいちゃんに車で拾ってもらった。
『歩くなんて無謀』
距離の感覚がつかなかったんだよね。

そして“リア”の再演。
主役三人のテンションが上がらず、“あたし達がなんとかしなきゃ!”って頑張った。
誰かを見下したりせず、誰かのせいにしようなんて思わず、ひたすらこの公演の成功のために。
結果、みんなで美味い酒が飲めた。

最高の1年だった。

        ☆

それから、この日記のサブにもなってる“10年前の・・・”。

この言葉にこだわるきっかけになった遊◎機会全自動シアターの“ライフ・レッスン”を青山円形で二人で見たのもこの年。

“10年前の自分。 10年後の自分。
      そして、死ぬ10年前の自分・・・”

この台詞に私はものすごく衝撃を受けたんだ。
涙が止まらないくらい。
まさか、本当にこれが石丸の“死ぬ10年前”だったなんて・・・。

        ☆

去年の秋、手紙をもらった後。
探しに探して、やっと気に入った出産祝いを見つけた。
可愛いおサルさんの絵が手染めされたガーゼのバスタオルとフェイスタオル。
バスタオルはお包みにも使えていいですよって、店員に言われた、私の一目ぼれ。
早速宅配便で送った。
ネットで配送状況をチェックしてると“転居のため持ちかえり保管”だって?
あわてて電話すると石丸が出て
『キレイな所で育てたかったから。 引っ越したばっかり』

なんだかものすごく疲れた声。

『イトウさんにあたしの病気聞いた?』
『えっ? ううん』
『びっくりするよ。 胃がん』
簡単に言ってくれる。

『でも消化器系のガンて治癒率も高いんだよ。 あたしはまだリンパにも転移してなかったし大丈夫。 焦らず自分のペースで生きていくよ』

今だから思うけど、出産報告のイトウさんの声が、手放しに喜んでないように聞こえたのは、そのせいだったのかな・・・。
今だから思うけど、この時の声には、産後の肥立ちが悪いだけではないほど、力がなかった。

『またねぇ』

石丸の声を聞いた、これが最後・・・。


      ★ ★ ★


その日は出かけていて夜中に帰ってきた。
ショウジさんはもう寝てる時間。
私も疲れてすぐに寝た。

気づくと枕もとにショウジさん。
『あれ? もう朝?』
『ううん』
静かに言葉を選んで話し出す。


『ダイフクから電話があって。 13日にね・・・石丸、死んだ、って』


      ★ ★ ★


最後まで、最後の最後まで、突然な石丸。

『今年は元気になって子育てにはげみます。
               あいたいなぁ〜』

年賀状に書いたくせに。

1月の終わりに出した葉書には、結局返事は来なかった。
桜の季節、キレイな桜のポストカードを見つけたから、書こうと思ったのに
“もうじき里帰りしてくるし”“もうじき誕生日だから”
結局書かなかった私。

ものすごく後悔。

もう返事なんか書けなかったかもしれない。
葉書を読む気力もなかったかもしれない。
だけど、私は書くべきだった。
書くべきだったんだ。

ごめんね石丸。

筆不精で、電話不精で。
だってさ、こんな突然だなんてさ、思わないじゃん。

ひどいよ、石丸・・・。

        ★

私はまだ、誰とも石丸の話が出来ないでいる。

ショウジさんも、きっとわかっていて、石丸の名前を全く出さないでくれている。

日が経つほどに、どういうことなのかを理解できなくなっている。

死ぬ、ということ。

もういない、ということ。


ただ

石丸は、私が生きている以上、私の中で生きている。

石丸は、石丸を知っている人間が生きている以上、それぞれの人の中で生きている。

それだけ、思うようになった。


      ☆ ☆ ☆


最後に石丸に会った時、上演する事はないけど“ままごと2”を書こうと思った。
“書いたら読んで”って約束した。

春江・夏実・秋子・冬緒

イマイさん・ジュンちゃん・私・石丸

四人でやった、楽しかった公演。
その続編を、書きたかった。

冬緒は大分に嫁に行って、登場しない設定で書き始めた。
途中で行き詰まって、そのままだった。
ここでも後悔よ、私。
なんでもっと頑張んなかったんだろう。
結局、読んでもらえなかった。

“中途半端なまま放り出すの?”

石丸への約束は叶わないけど、このままじゃいけない。
訃報を聞いた翌日、私、一心不乱に書いたよ。
冬緒を登場させて。
嘘みたいにスラスラ書けたよ。

“私、何やってんだろう?”

そう思いながら、書き終わったよ。


      ☆ ☆ ☆


石丸の思い出を書くことで、気持ちを落ち着けようって書き始めて4日。

最後に石丸に会った事を書いていた時、やっと泣けた。
泣き虫なのにね、ずっと泣けなかった。
少し、前に進めたのかも。

『いつまでも暗いの、あたしイヤだよ。
     しょうがないじゃん死んじゃったんだからさ』

軽く言ってくれそうだよね、石丸。

今までありがとう、石丸。

ずっと大好きだよ。

また、いつかどこかで会おうね。

それまで、おやすみ・・・。




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