まだつづき。
2003年4月23日昔の手帳を見ててわかったんだけど、芝居を辞めた後ずーっと会ってないんだね。
1996年の6月に私が結婚するまで、ほとんど。
この1年半は、それまでおろそかにしていた仕事や恋愛をして、お互い普通の生活へのリハビリだったのかもね。
☆
1997年3月。
『あたしイトウさんと結婚して、大分に行くことにしたんだ』
突然電話で報告。
『だから、行く前に会おう』
『いつ行くの?』
『3月16日』
『えっ! 2週間ないじゃん!』
いつも突然なんだよね。
深く考える時間を、他人にくれないんだ。
それは石丸自身も、うしろ髪ひかれる時間を持ちたくなかったからなのかも。
私は1分でも1秒でも長く一緒にいたかった。
だったら、もっといっぱい会えば良かったのにね。
いつだって後悔だ。
『池袋にホテルを取ったから、一晩中話そう』
酒菜家で飲んで、コンビニでいろいろ買い込んでチェックイン!
このころ石丸は激太りしてて、着替える時も“見ないで!”って恥ずかしがってた。
でもそれは腎臓の病気が原因だったって、後でわかったんだ。
ショウジさんの異常な家族の話。
知り合いのいない大分での生活への不安。
芝居の話。
限られた時間の中、朝まで話したね。
朝別れる前に、ゲーセンでプリクラを取った。
プリクラ嫌いの私の、たった一度のプリクラ。
すっごい変な顔に写っちゃった。
『もー! なんで変な顔なの? もうこれは秘蔵だ』
その時のプリクラ、ケイタイに貼ってるよ。
☆
その年の夏に、私が暑中見舞いを送ると返事が来た。
『来て! 今すぐ!』
私、社交辞令とか通じないから。(笑)
『10月になるけど、行くよ!』
すぐ電話をした。
『えー! 本当に来るの? すごいねあんた。 嬉しいけど』
一週間仕事を休んで、九州へ。
ショウジさんほっぽって。
☆
大分空港にはイトウさんと迎えに来てくれた。
『あれ? 切ったの?』
『すぐ気付いてよ』
『後ろで結んでるんだと思った』
私はお尻まであった髪を切って乗り込んだ。
『新居に泊めてもらうんだもん。 石丸抜け毛嫌いだからさ』
それから阿蘇へ、翌日は別府地獄巡りと高崎山にさるに会いに。
私はあやうく小猿にカメラを取られそうになったりしたんだ。
夜は居酒屋で、石丸も初の関サバを食べた。
『別に、どうってことないねぇ』
翌朝福岡へ。
海の中道の水族館では石丸の大好きなイルカショーがあって、“どなたか調教に挑戦したい人!”の呼びかけに、いの一番で手を挙げちゃって。
『ヌルヌルしてんの!』
大好きなイルカに触れられて、喜んでたね。
夜は当然、屋台!
女二人ってのもあって、いっぱいサービスされて、すっごく“美味しい”思いをした。
次の日はフェリーで壱岐島へ。
シーズンオフだからペンションは貸し切り。
水烏賊中心の夕食は豪華で絶品!
“食べきれないよ! もったいないけどー!”
以前にホテルのバイキングでお腹がはち切れるほど食べて死ぬ思いをしたから、お互い腹12分目くらい?で止めた。(笑)
翌日福岡に戻って一蘭でラーメン。
美味しいラーメンが食べたかったから、街行く人に聞いたけど
『美味しいラーメンはどこ?』
って声をかけるとみんな怪訝な顔で“さあ”って逃げた。
しょうがないから雑誌で調べて近くの一蘭で食べたんだ。
まぁ美味しかったから良しとした。
『長い物好きとしちゃ、もう一回うどんが食べたい』
福岡初日に食べた丸天うどんが美味しかったから、石丸が言い出した。
しょうがないから食べたよ。
前の晩でずいぶん胃袋も大きくなってたしね。
そこで私達の旅は終わり。
専業主婦をそんなに連れ出せないから。
石丸は大分に帰り、私は一人で長崎へ。
長崎も楽しかったよ。
でも二人ならもっと、楽しかったのにね・・・。
☆
次に会ったのは1999年10月。
石丸が里帰りしてきた時に、ダイフクと三人で飲みに行った。
食事コントロールやら、薬やら、医者の指導で病気と向き合い、体型は以前のスリムな石丸に戻ってた。
全然会わなくても、全然話しをしてなくても、全然違う生活をしていても、そんなの全然、関係ないんだね。
大分の石丸、茨城で子育てに励むダイフク、そして私。
子供がいるから先に帰るダイフクと一緒に店を出た。
『店から一人で帰すなんて、あたしそういうのヤダから』
思いやりとか優しさって、こういう何気ない行動のことなんだと思った。
駅まで送って、二人で喫茶店へ行った。
喫茶店が閉店したから駅へ行って、電車が無くなるまで植え込みに座って話したね。
『お金と時間をかけてやっと帰って来たって、一瞬なんだよね、一緒に居られるの』
別れ際、石丸は淋しそうに言った。
石丸を見たのはこれが、最後・・・。
☆
2002年8月。
イトウさんから留守電“またかけます”。
後日
『実は8月6日に子供が産まれたんだ。 石丸はまだ体調悪くて入院してるけど、連絡してくれって頼まれてさ』
寝耳に水。 びっくり!
(ついでにバリバリ大分弁のイトウさんにもびっくり!)
妊娠だって知らなかったからね。
おめでとうの手紙を出してからだいぶ経って返事が来た。
『名前は大智(だいち)。 妊娠初期に流産しかけたり、だから無事産まれるまで人には知らせなかった。 今は元気でまるまる太って、毎日成長してるってかんじで、おもしろいです』
イトウさんがすごく良いお父さんで、なんでも石丸より上手に出来るとか、目元は石丸似で、でこっぱちなところはイトウさん似、次は写真を送るって事とか・・・。
『あったかくなったら、子連れで里帰りするから見てやって下さい。 また遊びたいねぇ。 本当、大分は少し遠すぎる! まいった!!』
☆
入退院を繰り返していたらしいけど、とっても幸せそうな手紙だった。
『ショウジさんにもよろしく。 あとねこちゃんにも』
1996年の6月に私が結婚するまで、ほとんど。
この1年半は、それまでおろそかにしていた仕事や恋愛をして、お互い普通の生活へのリハビリだったのかもね。
☆
1997年3月。
『あたしイトウさんと結婚して、大分に行くことにしたんだ』
突然電話で報告。
『だから、行く前に会おう』
『いつ行くの?』
『3月16日』
『えっ! 2週間ないじゃん!』
いつも突然なんだよね。
深く考える時間を、他人にくれないんだ。
それは石丸自身も、うしろ髪ひかれる時間を持ちたくなかったからなのかも。
私は1分でも1秒でも長く一緒にいたかった。
だったら、もっといっぱい会えば良かったのにね。
いつだって後悔だ。
『池袋にホテルを取ったから、一晩中話そう』
酒菜家で飲んで、コンビニでいろいろ買い込んでチェックイン!
このころ石丸は激太りしてて、着替える時も“見ないで!”って恥ずかしがってた。
でもそれは腎臓の病気が原因だったって、後でわかったんだ。
ショウジさんの異常な家族の話。
知り合いのいない大分での生活への不安。
芝居の話。
限られた時間の中、朝まで話したね。
朝別れる前に、ゲーセンでプリクラを取った。
プリクラ嫌いの私の、たった一度のプリクラ。
すっごい変な顔に写っちゃった。
『もー! なんで変な顔なの? もうこれは秘蔵だ』
その時のプリクラ、ケイタイに貼ってるよ。
☆
その年の夏に、私が暑中見舞いを送ると返事が来た。
『来て! 今すぐ!』
私、社交辞令とか通じないから。(笑)
『10月になるけど、行くよ!』
すぐ電話をした。
『えー! 本当に来るの? すごいねあんた。 嬉しいけど』
一週間仕事を休んで、九州へ。
ショウジさんほっぽって。
☆
大分空港にはイトウさんと迎えに来てくれた。
『あれ? 切ったの?』
『すぐ気付いてよ』
『後ろで結んでるんだと思った』
私はお尻まであった髪を切って乗り込んだ。
『新居に泊めてもらうんだもん。 石丸抜け毛嫌いだからさ』
それから阿蘇へ、翌日は別府地獄巡りと高崎山にさるに会いに。
私はあやうく小猿にカメラを取られそうになったりしたんだ。
夜は居酒屋で、石丸も初の関サバを食べた。
『別に、どうってことないねぇ』
翌朝福岡へ。
海の中道の水族館では石丸の大好きなイルカショーがあって、“どなたか調教に挑戦したい人!”の呼びかけに、いの一番で手を挙げちゃって。
『ヌルヌルしてんの!』
大好きなイルカに触れられて、喜んでたね。
夜は当然、屋台!
女二人ってのもあって、いっぱいサービスされて、すっごく“美味しい”思いをした。
次の日はフェリーで壱岐島へ。
シーズンオフだからペンションは貸し切り。
水烏賊中心の夕食は豪華で絶品!
“食べきれないよ! もったいないけどー!”
以前にホテルのバイキングでお腹がはち切れるほど食べて死ぬ思いをしたから、お互い腹12分目くらい?で止めた。(笑)
翌日福岡に戻って一蘭でラーメン。
美味しいラーメンが食べたかったから、街行く人に聞いたけど
『美味しいラーメンはどこ?』
って声をかけるとみんな怪訝な顔で“さあ”って逃げた。
しょうがないから雑誌で調べて近くの一蘭で食べたんだ。
まぁ美味しかったから良しとした。
『長い物好きとしちゃ、もう一回うどんが食べたい』
福岡初日に食べた丸天うどんが美味しかったから、石丸が言い出した。
しょうがないから食べたよ。
前の晩でずいぶん胃袋も大きくなってたしね。
そこで私達の旅は終わり。
専業主婦をそんなに連れ出せないから。
石丸は大分に帰り、私は一人で長崎へ。
長崎も楽しかったよ。
でも二人ならもっと、楽しかったのにね・・・。
☆
次に会ったのは1999年10月。
石丸が里帰りしてきた時に、ダイフクと三人で飲みに行った。
食事コントロールやら、薬やら、医者の指導で病気と向き合い、体型は以前のスリムな石丸に戻ってた。
全然会わなくても、全然話しをしてなくても、全然違う生活をしていても、そんなの全然、関係ないんだね。
大分の石丸、茨城で子育てに励むダイフク、そして私。
子供がいるから先に帰るダイフクと一緒に店を出た。
『店から一人で帰すなんて、あたしそういうのヤダから』
思いやりとか優しさって、こういう何気ない行動のことなんだと思った。
駅まで送って、二人で喫茶店へ行った。
喫茶店が閉店したから駅へ行って、電車が無くなるまで植え込みに座って話したね。
『お金と時間をかけてやっと帰って来たって、一瞬なんだよね、一緒に居られるの』
別れ際、石丸は淋しそうに言った。
石丸を見たのはこれが、最後・・・。
☆
2002年8月。
イトウさんから留守電“またかけます”。
後日
『実は8月6日に子供が産まれたんだ。 石丸はまだ体調悪くて入院してるけど、連絡してくれって頼まれてさ』
寝耳に水。 びっくり!
(ついでにバリバリ大分弁のイトウさんにもびっくり!)
妊娠だって知らなかったからね。
おめでとうの手紙を出してからだいぶ経って返事が来た。
『名前は大智(だいち)。 妊娠初期に流産しかけたり、だから無事産まれるまで人には知らせなかった。 今は元気でまるまる太って、毎日成長してるってかんじで、おもしろいです』
イトウさんがすごく良いお父さんで、なんでも石丸より上手に出来るとか、目元は石丸似で、でこっぱちなところはイトウさん似、次は写真を送るって事とか・・・。
『あったかくなったら、子連れで里帰りするから見てやって下さい。 また遊びたいねぇ。 本当、大分は少し遠すぎる! まいった!!』
☆
入退院を繰り返していたらしいけど、とっても幸せそうな手紙だった。
『ショウジさんにもよろしく。 あとねこちゃんにも』
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